
良いことより悪いことを覚えているのは本能のしくみ
今日は、懐かしくて、とても大切な思い出の話。(実話です。)
中学生の頃。
私は大阪の都会で生きてました。
(かなり柄の悪いエリアです。歌舞伎町みたいなところをイメージして下さい。)
(保育園の隣がストリップ劇場、みたいな場所。目がラリってる大人が徘徊してる場所。)
友達はおらず、家に帰宅したくなくて、大通りをとぼとぼ歩いてました。
その時、「お姉ちゃん、ちょっとちょっと!」と呼び止める声がしました。
振り向けば、見知らぬ喫茶店。
見知らぬおばちゃん。
おばちゃんは言った。
「ちょっとおいで!中入り」
(「中入り」(なかはいり)=「店の中に入りなさいよ」という意味です。)
頭がパンチパーマの、大阪のおばちゃんのパワーと迫力は そりゃもうすさまじく、大人しかった私はNOが言えず、おどおどしながら喫茶店に入りました。
(こ、こ、怖かった…。怖すぎて言う事を聞くしかなかった。)
そうしたらおばちゃん、私をカウンターに座らせて、目の前にホットケーキを3枚も…。
ホイップクリームとさくらんぼもついていた。
おばちゃんは、不必要にでっかい声で、まるでどなるように、早口でこう言った。
「おねえちゃん、山口百恵にそっくり! おばちゃん、百恵ちゃんの大ファンやねん! よ〜来てくれたっ、食べていって!」
…私は正直、極度の緊張とおびえの中、頭がまっ白になっていた。
でも、食べた。
食べなければヤバい。…そう感じたから。
(とにかく早く、そのお店から出たかった。それほどに怖かった…!)
大人になってから、時折、このエピソードを思い出すのです。
当時の私は、中学2年生でした。
(…ちなみに私は、山口百恵にまったく似ていません(笑)。)
けれど当時は、よっぽど雰囲気が似ていたのか、実は色んな大人たちから「百恵ちゃんに似てるわ〜」とよく言われていた。今の私とは、もはや雰囲気が別人ほど違うと思う。)
私は暗くて大人しい子で、スラムと呼ばれる街の片隅で、息を潜めて怯えながら生きてました。
友達がおらず居場所がなくて、でも学校以上に家の中はきつくて、独りで街をとぼとぼと徘徊していました。
おそらく、そんな私は喫茶店のおばちゃんの目に、私の姿は
「ひもじくて、帰る場所のない、ガリガリの不幸な子供」
に映ったのだろうと思います。
だからおばちゃんは、私に『ごはん』を…、いえ、『栄養』をくれたのです。
「いや〜ん、百恵ちゃんがうちのお店に来てくれた〜、今日は嬉しくて嬉しくて寝られへんわぁ〜」
「いやっ!全部食べてくれたんや! ジュースのおかわり、いる?」
おばちゃんの顔は、思い出せないです。
でも、声とセリフは覚えている。
体型は、ドラえもん体型でした。
そのお店のカウンターの風景も、カウンターの端に置かれていたひまわりの造花のことも覚えています。
あの時のおばちゃん、今も喫茶店をやってるんだろうか…。
(つい先日、久しぶりにその道を通ってみたら、もうそのお店はありませんでした。他の場所で、過ごしておられるだろうか…。)
今だったら、その人は『こども食堂』をやりたい人だったかも知れない。
…というわけで。
昨日、ひとりで立ち寄ったオシャレなカフェで、ドリンクしか注文しなかったのに、ケーキをプレゼントしてもらえました。
(チェーン店じゃなく、年輩の男性がやってる、ケーキも売ってる個人店です。)
思いがけず、サプライズで頂いたケーキ。
それを食べながら、久々にしみじみ、このおばちゃんの事を思い出しました。
思えば、私の人生には何人も、こんな『ドラえもん』みたいな大人が登場して、私をピンチから救ってくれました。
ごくごく、さりげなく。
だから、右も左も分からないような子供が十代で起業しても、どうにかなったのです。
(…もちろん、逆の大人も多かったです。私を騙し、利用し、脅し、搾取した大人たちも。何しろ、ヤのつく人の街・大阪ですし、犯罪率 全国No.1の地区に暮らしていのですから…。)
そうそう。いきなり話は変わるんですけど、脳科学によるとね、人間って、いい思い出よりもつらかった事を脳みその『いつでも取り出しやすい位置』に置いているんですって。
(なぜなら、自分の生命を危険から守るために、です。)
(だから危険な事、ネガティブな出来事はしっかり覚えているし、二度と同じ目に遭わないためにも、なかなか忘れられない。)
けれども、よかった事やスムーズにいった事は すぐに忘れていく…。
たとえば、一週間前の朝、何を食べたのかはなかなか思い出せない。
なぜなら、「当たり前に、スムーズに進んだ平凡な日常の出来事」だから…。
(ごはんを食べられるのが「当たり前」になってる日本に暮らしているから…。)
でも、嫌な事、ムカついた事、悔しかった事、傷つけられた事は、いつだって脳の『取り出しやすい位置』に置いてあるんですよね…。
(これは性格の問題ではなく、本能のしくみなのです。)
(これを「エゴのしわざ」とも言えるが、エゴにも重要な役割があるんですよね…。)
私だってそうです。
ネガティブな出来事が、脳みその『取り出しやすい位置の引き出し』に置かれている。
だから、ふとした出来事がきっかけで、昔の事がよみがえる瞬間があります。
理不尽な目に遭った。つらかった。悔しかった。悲しかった。
…若い頃は、その悔しさをバネにして、踏ん張って生きてきたのでした。
…そして…。今振り返ってみれば、思うのです。
「ああ、ドラえもんみたいに、手を差し伸べてくれた大人がいたなぁ…」
そっちのエピソードは、普段は滅多に思い出さないです。
(なぜなら、防衛本能が、(つまりエゴが)反応しないからです。)
(別に思い出さなくても、いのちを守る事に無関係だからです。)
当時の、中学2年生だった私は、ホットケーキの味を覚えていません。
感謝なんて、まったく感じられませんでした。
ただ、おばちゃんの大きな声が怖かった。
食べなければ、店から出してもらえないって怯えながら食べた。
そして、「あ!助けてくれようとしたんだ」と気づいたのは、20歳の後半だったんです。
…でも、それでもまだ、20代の私には、おばちゃんへの感謝なんてなかった。
なぜなら、まだ必死でもがきながら人生を生きていたから。
生きる意味も分からず、しんどくて、でもやるしかなくて、がむしゃらだったから。
ピンチのとき現れる「ドラえもん」に深い感謝を
…あれから30年ほど経ちました(笑)。
昨日は、人生で2度目の「思いがけず、喫茶店でケーキをもらえた日」でした。
そこは仕事帰りに立ち寄ったお店。
オシャレなケーキ屋さんでもあり、人見知りっぽい雰囲気の、年季の入ったパティシエのおじさんが、ケーキをプレゼントしてくれた。
「自分で言うのもなんやけど、これ、朝一番からめっちゃ張り切って焼いてん。
おいしいと思うねん。
けっこう自分でも自信作やで。
…試作品やけど、好評やったらお店に出す予定やねん。食べてみーへん?」
…ビックリするほどおいしかった…!!!
昨日の『ドラえもん』おじさんは、「かわいそうな私」にケーキを恵んでくれたのじゃなく、きっと頑張ってきた私に向けて、
「お互い、今日もお疲れさま♪」
という意味で、粋なプレゼントをしてくれたのだと思う。
そう、同じく頑張っているおじさんが、同士の私に。
おじさん、わざわざ、私が全部食べたかどうか、そーっとカフェスペースまで確認しに来ていました(笑)。
バレないように、そーっと。
私は今、毎日、洪水のように、人の、粋なはからいや思いやり、ちょっとした心配りに気づける事が出来ています。
「ありがたいなぁ…」
そんなつぶやきが、わりとしょっちゅう漏れるわけです。
何気ない日常の中で、感謝が出来ている…。
…こんな人生、けっこういいなぁ♪
あのつらかった頃、死なずに踏ん張ってよかった。
あのつらかった頃も、私は守られていたのです。
ところで…。
今だからこそ、考えるのです。
人生って、幸せって、何だろね?
あなたの人生にも、きっと『さりげないドラえもん』は登場していたはず。
通学路で
「あの子、今日もちゃんと学校に来たなぁ」
って見守ってくれていた人とか…。
(当時の私は、話しかけられると怖くてウザくて、心の中で「放っておいて!」って思ってたけど、あの人たちも『ドラえもん』でした。)
(きっと、私が往来でピンチに遭ったら、助けてくれただろうな。)
でも当時の、子供だった私は、人生を丸ごと救い上げてくれる人を求めてたんです。
このつらい日々から脱出させてくれる、魔法使いのような大人を。
…だから、まるで、捨て犬を見つけて、通りがかりにミルクをやって去っていく人みたいな、そんな親切には、全く感謝できなかった。
「そんな事じゃ、このつらい毎日、どうにもならないよ」
と思っていました。
だから、自力でそこから脱出したのです。
…そして私は、脱出に成功しました…!
それは、自分の力だと信じて疑わなかったです。
世間に対して、みんなに対して、ずっと怒ってたから。
被害者意識でいたから。
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だから、
「誰の助けも要らない!期待なんかしない!」
って心の中で怒鳴っていました。
…今は、「やっぱ、それは事実とは違ったな」と思えています。
私は、生かされたので、ここまで生きてこられたのだなぁ、と。
ドラえもんは世間に何人もいて、まるでバケツリレーのように「いよいよピンチ!」という時、私の目の前にサッと突然 登場し…。
そして、「ほんのちょこっとだけ」助けてくれて また去っていく…。
けれども、その連続のバケツリレーによって、私は救われてきたのです。
今なら、そう思う。
そう思えるのです。
そしていつの間にか、「自分って、本当に超〜幸運だ!有難い!」としか思えなくなってます。
〝幸せって、「粋でさりげない心遣い」をちゃんと見つけられるようになるかどうか?だよなぁ。
やっぱ、そこなのだなぁ~” とも思えます。
…そして、『感謝力』は磨けるんです。
深めることが出来るのです、間違いなく。
そこも、救いだと思うのです。
…さぁっ、今日も仕事に入ります!(^o^)
長い文章、読んでくれて有難うございました!
あなたもどうぞ、おいしいもの食べて、いい一日になりますように…♪
今回のことば
今のあなたが、過去の自分を思い出して、その自分自身を癒す時…。
その「思いやりとレイキ」は時空を超えて、あの幼かった頃、つらかった頃の、過去のあなたの元へ届くのではないだろうか。
だからこそあの時の、つらかった頃のあなたは、なんとか踏ん張れたのではないだろうか。
(それが、時空を超えて、レイキが循環するということ。)
by 辻 耀子

