「生きると覚悟を決める」とは?

辻耀子です♪

 

いかがお過ごしですか?私も元気です!(^o^)

今日は、生きる覚悟について、書いてみます。

 

「生きる覚悟」について 親友Nちゃんの話

私に、『生きる覚悟』を教えてくれた、
親友女性・Nちゃんの実話です。

(彼女が教えてくれた事によって、その後の私は、
何度も試練を乗り越えてこられたのでした。
そして今の幸せがあります。)

だから、そのヒントをあなたにも
手渡したいと思い、書きました。

闘病中の話ですが、暗い気分にはならないと思います!

あなたがもしも今、
「何のために生きているのだろう?」
「今までやってきた事ってなに?」
「生来が不安…」
という気持ちならば、読んでみて下さい♪

人生が最悪の時に出会ったNちゃん

Nちゃんと私は、お互いに人生で最悪の時に出会いました。

 

私は当時25歳でした。

 

出会った場所はレイキ講習……と言いたいところですが、違います。

 

レイキではなく、気功道場でした。

 

その気功道場には、
病気のかたが「病気が治る」と聞きつけて熱心に通っていました。

なので私も、半信半疑ながら通っていたのでした。

 

(余談ながら、この頃この道場で知り合った人から
「レイキって知ってる?」と教えてもらったのがきっかけで私はレイキを学ぶ事になったのです……。)

 

話を戻します。

当時私は大病を患い、病院で「あと半年の命、助かりません」と言われて少し経った頃でした。

 

Nちゃんは私よりも数年早く突然の大病に見舞われ、それがきっかけで離婚したところでした。

 

百人以上が集まる大きな気功道場の中で私がNちゃんに声を掛けた理由は、たった一つだけ。

見るからに不幸そうで、青白い顔でうつむいていたからです。

 

能面のように表情のない顔で、誰とも口を利かない彼女をお茶に誘いました。

入ったお店でもNちゃんはうつむいたまま、一言も喋らなかった事を覚えています。

 

でも、喋らないNちゃんと居るのがとても心地よかったのが新鮮でした。

 

今思えば私も稽古でヘトヘトで口も利けない状態だったし、Nちゃんもヘトヘトだったのでした。

しゃべらないまま数度お茶に行き、どうやって仲良くなったのか忘れましたが仲良くなりました。

 

私はずーっとビジネスの世界で生きてきて、彼女はおよめさんになるのが夢で、全然違う人生を歩んできたNちゃん。

 

共通点が特にないのに、私達は親友になりました。

 

やがて3年ほどの闘病生活の後、私はとうとう死ぬはずだった病気を克服したのでした。

そしてビジネスの世界に戻ります。

 

Nちゃんもまた、第一級の身体障害者に認定され、
人工透析を続けながらも「こんなに元気な病人居るの?」って周囲から驚かれる位元気な笑顔を見せる人に変わっていました。

 

出会った頃、Nちゃんをイメージさせる花はあじさいやラベンダーでしたが、
その後は菜の花に……ついにはひまわりになっていくのです。

エアーズロックに行けない理由

ある時、こんな出来事がありました。

 

私がオーストラリアに旅行する事になった時、
とても目を輝かせて、「エアーズロックには行くの?」と尋ねてきました。
「なぜ?」と聞き返すと、「実は私の夢はエアーズロックを見ること!」と。

(世界の中心で愛を叫ぶ よりもずーっと前の話です。)

 

私:「今回エアーズロックには行かないから、今度また一緒に行こうよ」

Nちゃん:「でも、考えてみたらお金がないし……」

私:「そんなにかからないって!」

Nちゃん:「でも一日おきに透析しないといけないし……」

私:「今は旅行中、向こうの病院で人工透析を受けることも出来るみたいよ?」

Nちゃん:「でも……運が悪かったら一週間ぐらい近くのホテルで足止めくらうかもって……せっかく行っても見られなかったら……」

私:「その時はその時じゃないの?心配してたらずーっと行けないよ!だから、行ってから考えたらいいよ!」

こんな会話を延々しているうちに、私は知らず知らず彼女を追い詰めていました。

 

Nちゃんがエアーズロックに行けない理由(言い訳)を言うたび、それをどんどん潰し、覆してしまったのです。

 

ついにとうとう行けない理由を全てなくしてしまった彼女は、早口で最後にこう言ったのでした。

 

「でも、もしも本当に行っちゃったらもう、あとは死ぬしかないやん」

“夢を叶えてしまったら、もう生きる希望がないから死ぬしかない。”

 

だからNちゃんは、夢が叶ったらいいなって言い続けて、
「いつかエアーズロックに行けたらいいな♪」って会話だけを楽しみ続けいたかったんです。

 

ハッと息を飲みました。

 

そのセリフを告げた時の、Nちゃんの怯えた目と震える声を今も忘れることが出来ません。
本心を告げた時の。

「分け御霊」同じ人生を生きる必要ない

それから数年後のある時、Nちゃんがこう言いました。

 

「耀子ちゃんと私ってきっと、分け御霊(みたま)やね」

 

意味が分かりませんでした。

 

「分け御霊って何?」と尋ねると、
「もともとは一つの魂だったのが、今回生まれ変わる時に分かれて別々の人間になって生まれてきたんよきっとね」
という答えでした。

 

私はその意見には賛成しませんでした。

 

生まれ変わりの有無以前に、Nちゃんと分け御霊だという感覚や実感が全く沸かなかったからです。

でもその後でNちゃんはこう付け足しました。

「だから私は耀子ちゃんと同じ事をする必要はないねん。
同じ人生を生きる必要はない、だって真逆の人生を生きるからこそ、人生が二倍おいしいと思うんよ。
だからね、耀子ちゃんはどんどん外へ出て飛び回ってね?
私は家でミシンでポーチを作ったりするのが楽しいから」

何だか、彼女が自分自身の運命を納得させるためような言葉でした。

私は「飛び回れない私の分も色々な体験をして!」とバトンを渡された気分になったものでした。

Nちゃんにプレゼントした絵

ある日、Nちゃんに絵をプレゼントしたことがありました。

 

普段、絵を描かない私なのですが、この時はどうしてもNちゃんに絵をプレゼントしたくなり、
取り付かれたように一枚の絵を仕上げました。

 

それは仏画のような絵で、出来上がってみるとなぜか彼女が風の中で舞を舞っています。

衣が天に向かって吹き上げられ、舞い上がっていました。

その絵をプレゼントした時、
Nちゃんは「何だか自分と全然イメージがちがーう!私こんなにアクティブなイメージなん?」って首を傾げていました。
確かに、非常に動的な絵でした。

 

けれどもやがて、その後彼女は本当に……どんどんアクティブになっていくのです。

「古民家カフェでホールスタッフのバイト始めてん!」

 

車で遠距離を一人遠出したり、
他の友人と一緒に出雲へ旅行した事もありました。
さらにはお神楽や舞を習ったりするほどに……。

こんな風にして、全然タイプの違う私達の交流は10年を越すほどになりました。

 

私と会っている時の彼女はいつも笑顔でしたが、
いつも別れ際に「ずーっと毎日こんないい気分でいられるようになりたいな」と言っていました。

自分の人生を生きるという覚悟

私は、勝手ながらその言葉を聞くたびにこう思いました。

きっとNちゃんは毎朝、「生きる覚悟をしなおすんだな」って。

 

私も闘病中を含め長い間、「何で私ばかりがこんな目に!」と思っていたものでした。

自分の境遇を呪い運命を恨み、心の中では不平不満ばかり。

歯を食いしばりながら、悔しさをバネにしていた時代がありました。

 

思えばつらかったあの頃は、
「何で生きてるの?」って心の奥底でいつも自問自答していたように思えるのです。

おかしな話です、すでに生きているのに「何で?」って。

考えても仕方がないのに。

 

今思えば「なぜ?」って思っていた頃は、自分が『生きる事を選んでいる』なんて絶対に思いたくなかった。

 

「生まれてきたから、だからしょうがなく生きてる」って思っていたかったんです。
「生まれてきたせいで、こんなつらい思いをしなきゃならない」
「なぜ?何のために生きてるの?いい事なんてロクにないよ!」
って怒りながら自問自答の繰り返し。

 

誰にだって、しんどい時やつらい時があり、
時にはその状況が変わらないのだと悟る瞬間もあるかもしれません。

 

(そう、一日おきに人工透析をしなければならなかったNちゃんのように。)

 

昔の私には、自分の人生を生きるという覚悟が出来ていませんでした。

 

(もちろんいまだって、何かがあると知らず知らず
「何で生きてるんだろ?わかんなくなってきた」と
自問自答しながら神様?のような存在に向かって
悪態をつきたくなっている自分に気付かされる時があるものです。)

 

「もしもこれこれこういう状況になったら、きっと気分よく生きられる」

「もしもこれこれこういうものが手に入ったら幸せになれる」

 

そうじゃなくある時Nちゃんは「よしっ、笑うぞ」って決めたんですよね。
「自分で自分を楽しくする!」って。

 

そしてついに、Nちゃんの口から驚くべき言葉を聞く日がやってきたのでした……!

Nちゃんと交わした最後の会話

「耀子ちゃん聞いて!私パスポート取ったんよ!いつでもオーストラリア行けるように!」

 

それはNちゃんが、人生を変えると決めた証しでした。

 

「いつかきっと誰かが私の人生を幸せにしてくれる……」という願望めいた執着を手放した瞬間でした。

自分のために取ったパスポートは、彼女が自分の人生を生きると覚悟を決めた証だったように思えるのです。

 

この時の彼女の笑顔こそ、ひまわりのような大輪でした。

「いつ行く~?オーストラリア!」

これが私とNちゃんが交わした最後の会話でした。

 

Nちゃんはその日もイキイキとした笑顔で、とても幸せそうでした。

 

Nちゃんのお葬式は密葬なので、私はお通夜にも行けません。

 

なので私は自宅でNちゃんの魂に遠隔レイキを送らせて頂きながら、ふと思いました。

「あの、私が以前に贈った絵はどうなったんだろう?」

Nちゃんがとっても気に入って大切にしていたローズクオーツと一緒に焼いてもらえていたらいいな……と思います。

 

長いのに、最後まで読んで下さり有難う。感謝致します。

 

今日のまとめ

「今日を笑って過ごすかどうか。自分で決めます。」
──────────────────────────────
by; 辻 耀子 (NPO日本レイキ協会)

 

 


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