全国 講座&イベント日程・予約・会場はこちらをクリック♪

世にも不思議な実話物語・オマケ(立てなくなった母に起きたミラクル)

こんにちは。辻耀子です。
いかがお過ごしですか?

今回は、ヘルニアで立てなくなったうちの母の、その後の実話です。

(こちらも、私にとってはレイキさんが起こしてくれたミラクルです。)

嘘のようにイキイキとして子供のようにはしゃぐ母

7年前。当時、医師からは厳しい言葉。

「あまりにも長期間、我慢しすぎましたね…。
悪化しすぎていて、しかも場所も悪いからどうしようもない。

手術の成功確率も低く、それよりも手術によって脊髄の神経を損傷、下半身マヒになるリスクのほうが大きいです…。
これはもう、どうしようもありません…。」

こう告げられてしまった、母のヘルニアでした。

けれども結果的に、完治したんですよ!(^o^)
(もちろん、手術も何もしていません。)

した事と言えば…遠隔レイキのみです。

あっ、違いました、実はもう一つだけ行なった事があります。
心理カウンセリングです。

長年に渡る父の世話に疲れ果てた母。
ヘルニアの痛みを誰にも言わず、一人でずっと長年 我慢しすぎたせいで、とうとう絶望的なほどに悪化。

立てなくなり、「もう死にたい、こんな人生は嫌だ」と嘆いて泣く母をなだめる私。

気が付けば母親相手なのに、カウンセリングのようなモードになっちゃっていました。

「分かった、じゃあ死ぬまでに何か、やり残した事は?」

私の問いに対して、母はこうつぶやきました。

「子供の頃からスイスのアルプスにあこがれてた。死ぬまでに一度でいいから、マッターホルンをこの目で見てみたい…」

私はスイス旅行を手配し、妹を同伴させてパックツアーに行かせました。

(母はとても嫌がって、「海外旅行なんて行った事ないのにムリ!痛いのにムリ!動けないのにムリ!」と言いいましたが、半ば無理やり、強引に。)

結果。
母は嘘のようにイキイキとして スイスから戻ってきました…!

「ああ〜、本当にすごかった!マッターホルン、ちゃんと見れた〜!」

子供のように無邪気にはしゃぐ母。

そして、次のセリフは…。

「今度は、ニュージーランドのマウントクックを見れたらなぁ」

(うはは〜(^_^;)。呆れるでしょう?↑)
(けれども思惑通りでした。ウシシ。)

再び、瞳に輝きを取り戻した母は、生きることに少し前向きになりだしました。

そのあとは、遠隔レイキと街の整骨院のみで、奇跡的に完治したんです!(笑)。
手術もしていません。
奇跡の回復でした…!

(その後母は、ちゃっかりニュージーランドへも行き、北京へも行きました。今や随分と歩けるようになったので、軽いトレッキングも可能に!)

レイキアチューンメントを受けると霊と交信出来る?

次は、数多く寄せられたご質問への返答です。
私としては決死の覚悟で体験告白します!

Q:「レイキのアチューンメントを受けると、霊を見たり感じたり、霊と交信が出来たりするようになれるものなのでしょうか?
(なってみたい自分がいますが _(^^;)ゞ)」

A:実は、この質問が来るだろうと思い、『世にも不思議な実話物語』を書くか書くまいか、相〜当〜迷った私がいました(汗)。

これは読んでくださったなら疑問に思う、当然のご質問だと思います。

(そう。それを想定していながら書いたので、私が撒いた種ですね…)

結論からお伝えすると、「どうぞ、そのような期待はしないで下さい」です。

だからと言って、「いえ起こりません」と言い切れないのも正直な本音です。

「え?どっち?」と余計に混乱させたかも知れませんが、「あなた自身の人生に必要な事が起こります」というのが、現時点で私が言える、最も誠実なお答えです。

そこで、私の体験談を告白してみます。

(個人的な体験ですので、全てのかたの身の上に起こるという事ではありませんが、参考にして下さい。けっこう笑える体験談です。)

ひょんな事から超常現象いっぱいの人生に!

実は私は元々、レイキも含め、不思議なものはな〜んにも見えない・聞こえない・感じない人でした。

ですので、それらを全く信じない主義でした。

(子供の頃からそういった事柄にもそれほど興味もなく、どちらかと言えば心霊現象や不思議なことのトリックを暴きたいタイプだったのです。)

レイキを学んで25年になりますが、学びたての頃の私も、もちろん全く何にも分からない人でした。

アチューンメントを受けても何も感じないし、レイキ・エネルギーの説明を聞いても、「ええ〜?ウソでしょ〜?」と心の中で思っていたものでした。

けれども今から20年ほど前、ひょんな事があって以来、突然、超常現象がいっぱいの人生になってしまったんです。

そのひょんな事というのは…まことに笑えるエピソードです。

(でも、実話です。)

では、書きます。
それは、1999年のある日。
私は知人と3人でランチを食べていました。

(あの日の事は忘れもしません。私はカレーライスを注文して食べてました。)

食事の最中、一緒に居た知人の一人が、「あっ!店の端のカーテンのところ見て!」と指差しました。

言われて振り向きましたが、もちろん私には何も見えません。

ところが、もうひとりの知人は「あっ、女の人だね」と言いました。
(けっこう、けろりとした感じで。)

そこから二人の会話は、カーテンのところにいるらしき女性の事で もちきりに。

(要するに、二人とも『見える』人だったわけです。)

私だけが、何も見えません。

仕方がないので、ひとり会話に入れないまま、黙々とカレーを食べ続けてました。
(早くこの話が終わらないかなぁ、と心の中で願いながら。)

けれども一向に、そのオバケ(?)の話は終わらないのです。

それどころか二人はますます楽しそうに盛り上がっています。

10分が経ち…15分が経ち…。
どうやら二人に見えているのは、全く同じ映像のようでした。
けれども、いくら目を凝らしても、私にはやはり見えません。

20分が経過…。
話はまだ盛り上がり続けています。

私はうつむいて、空になったカレー皿を見つめながら、大声で怒鳴りました。

…いえ、実際には、心の中だけで怒鳴りました。

”どこかの誰か”に向かって、全身全霊で。

「本当に居るんだったら、私にも見せてみろー!!みろーみろー(怒)」

(↑ 注:ここ、エコーかけて読んで下さい。)

すると。

いきなり見えてしまったのですよ…!!
カーテンの端に立つ女の人が!!!

いや〜ビックリでした。

つまりこの日から、私も『目に見えないはずのもの』が見えるようになっちゃった、というわけです…!!!

これ、ウソのようなホントの話です(汗)。

そこからしばらくは、毎日がパニックでした。

エクソシスト系の映画で観たような出来事が、次から次へと身に降りかかってくるのです。

それでも私は、がんとしてそれを信じたくありませんでした。
何とか理由を探し出して、「これは勘違いだ」という事にしたかったのです。

(この時はまるで、“目に見えない何者か”が私に向かって、「これでも信じない気か!!じゃあ信じるまで不思議な事を起こし続けてやる!」と笑いながら挑戦をしかけてきているような感覚でした。)

『観えるという体験』が私には必要だった

ちなみにこの時すでに、レイキを学んで5年ほど経っていましたので、「レイキを学んだ事がきっかけで」なのかどうかの判断はつきません。

ちなみに、その後の私は、いわゆる「オバケ」よりも、私はキラキラ輝くものをよく観るようになりました。

(恩恵?精霊?エネルギー体?守護スピリット?そんなようなものです。非常に美しく輝きを放ち、時には光のシャワーのように降り注いでいたり、時には光の玉だったり。)

こうして私は、半年ほどかかって、目に見えないものの存在を徐々にですが受け入れるようになりました。

(で、現在に至っています。)

今、こうなって思うのは、「目に見えるものしか信じない!」と言っていた頃の自分のほうが、今よりずっとずっと傲慢に生きていたなぁという事です。

(ホントに、つくづくそう思います。)

しかも、見えないもの=宇宙法則 を無視して自分で全てをコントロールしようとしていたわけですから、そりゃもう人生で困難がどんどん襲ってくる襲ってくる…(^_^;)。

全然流れに乗れていない時も多かったです。

逆に、うまくいった時には「やった!私が頑張ったおかげよ♪ フフフ」な〜んて、こっそり自画自賛しているタイプだったんですよ…(苦笑)。

ともあれ、何が言いたいのかというと、私にはおそらく必要だったのです、『観えるという体験』が。

「なぜか?」

それはおそらく、もっと感謝を持って謙虚に生きていくために、です。

『目にもの観させられる』という事がなければ、私は一生気付かないままだったでしょう。

『おかげさま』の存在があるおかげで、生きられているんだ…

実は、私たちの人生が、多くの『目に見えないもの』によって影響を受け、時に助けられ、成り立っているという事を…。

(霊とかエネルギーとかいうもの以前に、紫外線や赤外線、音波(音楽)、風、電波、電気(熱、あたたかさ、冷蔵、冷凍、空気、香り、味、体感、心、気持ち、意志…。)

(本当に私たちは、うんざりするほどの目に見えないものたちに囲まれ、その恩恵があるおかげで生きさせてもらってるんですよね。)

特に『酸素』は なければ死んでしまうわけだし、『電波』や『電気』があるお陰で、ケータイ電話を始めとして、音楽を楽しんだり、テレビや映画を観れたり…。

本当に、文明の利器を便利に楽しく活用させてもらえてるんですよね。

けれども当時の私は未熟者だったため、その事さえ まともに考えた事も感謝した事もなかったのです。

(お金を支払えば当然のように手に入るのだ、お金を支払ってるのだからサービスを受けられて当然、ぐらいにしか思っていませんでした。)

ともあれ、私の場合に限って言えば、『本来は見えるはずのない存在』を見させられたお陰で、随分と謙虚な姿勢で生きられるようになったように思います。

まさにようやっと、『おかげさま』の存在があるおかげで、生きられているんだ…幸せも感じられるんだ…と、感謝の気持ちを得られたのです…。

本当に、思い切り方向転換させられたなぁと思います。

というわけで。

これでは質問を下さったかたがたへの答えにはならないだろうし、逆にガッカリさせたかも知れませんが、これが正直なお答えです。

(でも、今でも私は超常現象やレイキが早く科学や物理学で全て説明・実証できる時代が来たらいいなぁと強く思っているんですヨ。

『宇宙法則』なんていうあいまいな表現じゃなくて、全ての法則を数式・公式・化学式で表す事が出来る時代の到来をネ(笑)。

なぜなら、そのほうがさらに多くのかたがたが宇宙法則や、レイキ・エネルギーを納得の上で活用できると思うから♪)

他の亡くなった人とも交信できる?

Q:「今もお父様と交信できるんですか?他のなくなった人とも交信できるのですか?」「交信をしてもらいたい人がいますが、お願いできませんか?」

A:申し訳ありません、お受けできません。

その理由も、正直に書きます。

まず、いつもそれが必ず行なえる(起こる)わけではないためです。

それから、引き受ける事について、かなりの抵抗と拒否感があるためです。

(極力やりたくないので、やらないと決めています。)

亡くなった人との交信はプロのかたへご依頼ください

それには訳があります。

実は、この20年間のうちに、これと似た感覚は何度か体験があったんです。

(父のときのように、『透明人間のようなボディ』を感じた事はありませんが、いわゆる情報が流れ込んでくるタイプの体験です。)

友人の父が亡くなった直後に、そのお父様からのメッセージが頭に響いてきた事などがあったのです。

それは生前に伝え切れなかったかたの、ご家族へのメッセージでした。

他にも、まだ亡くなっておられないものの、植物状態(意識不明)になったかたから、ご家族に宛てたメッセージを受け取った事もありました。

(いずれのケースも、その時には、成りゆき上 そのメッセージの内容をご家族に伝える必要があったため、ためらいはありつつもお伝えしました。
そのときは、結果的には伝えてよかったのだと思いました。)

けれども一方で、当事者のかたのプライバシーを、関係のない第三者である私が許可なく知ってしまうという事に、非常に心苦しさが残っています。

(ここについて、今も自分の中で「いいのかどうか」結論が出ないままでいます。

もしも逆の立場だったとしたら、私ならば自分のプライバシーを覗かれたくないと思うから…。)

別のケースですが、以前、友人から夜中に突然電話がありました。

「友達が自殺しようとしているかも知れない、行方が分からない」と、うろたえていました。

私にとっては全く存じないかたでした。
ところがそのかたのプライバシーが流れ込んできてしまい、私自身、とても困惑しました。

(そのかたは実際、自殺されていました。)

その時の私には、そのかたが自殺されている場所の風景が見えました。

それで、探して電話してきた友人に、その場所の様子を電話で伝えたんです。

(友人は、私が伝えた情報から、その場所にビンとき、警察に伝えました。
で、警察が向かったところ、車内で自殺されていたんです。)

でも…。私は、生々しい感覚や、亡くなられた直後のそのかたの想いや置かれた状況、出来事も、場所の情報と共に、頭の中に流れ込んできたため、つらくてきつくて…。

しかもそれを(無関係の自分が)覗き見てしまった事への罪悪感がハンパなく…。

そのような理由により、その手の事(霊媒?)はプロのかたにお願いして頂ければと思います。

私は「宇宙の何がどうなっているのか」を確かめたい!

で、ですよ。
もしも、何かの必要があって私の身の上にこのような事が起こっているのだとすれば、そこには理由があるはずです。

今、私は、自分自身が『一体なぜこのような事が起こるのかを身をもって体験したい、宇宙のメカニズムを何としても解明したい』という強い思いを持っているから、このような事が起こるのではないか?という推論に至っています。

現在は、この霊感(?)のスイッチを、自分でオン・オフに切り替える事が出来るようになりました。なので私は、人生の99%を『オフ』で生きています。

また、たとえ『オン』にしたとしても、超能力者ではないので、他者の心が読めたり、全てを把握できるわけではない、という事もお伝えしておきます。

また、「霊魂(オバケ)と呼ばれるものは、おおむね、何も他者に危害を加えない、悪い事もしない…という事にも気づけましたので、必要以上に『霊障じゃないの?!』と騒ぐ必要もない…という事も併せてお伝えしておきます。

人が霊障で偉い目に遭う確率は、通り魔に刺されるとか、乗っていた飛行機が落ちる…というほどの確率かと思います。

(つまり、いわゆる浄霊、除霊を行なう人の大半は詐欺師なのだなぁ、という事もつくづく分かりました。)

(本当に見えるならば、私と同様、それが対して害を及ぼさない事にも気づいているはずだからです。)

話を戻します。
私はレイキ・エネルギーの事も含め、「宇宙の何がどうなっているのか」「一体どんな事が起こっているのか」を確かめたい。

その気持ちがとても強いです。

なぜ知りたいのかというと、自分自身が元々、そういった摩訶不思議なものを信じなかったり受け付けないタイプだったからです。

だから、理論理屈で納得したいのです。

もしも私が、以前の自分のようなタイプの人(つまり『レイキ否定派』、『見えない世界否定派』の人)と会った時には、その人に向けても、ちゃんとそのかたが納得できるような説明が出来るようになりたいのです。

そうすれば、世の中のもっと多くの方が、レイキを始め、このすばらしい恩恵を気軽に(怖がることなく)活用できていいなぁ、と考えるからです。

以上です。(^o^)

レイキの本当のすばらしさは手のひらを通じて誰かに愛を贈れること

まとめます。

レイキはスピリチュアル系ジャンルにカテゴライズされる事が多いため、どうしてもミラクルや不思議体験を期待されるかたがおられて当然かと思います。

(それも人情ですよね、分かります。(^_^;)。)

けれども、それ以前にレイキの本当のすばらしさは、『手のひらを通じて、誰かに愛を贈れること』だと思うのです。

『誰かに手を置いて差し上げたいなぁ』と思う気持ちをあなたが持つこと。

今まで「自分なんて、何の役に立てない」と自分を過小評価してきたかたが、「私にも、ささやかながらやれることがあったんだ!」と気付くこと。

レイキは、そのきっかけにもなり、強力なツールにもなってくれるのです。

だからこそ、「レイキはすばらしいなぁ」と私は思うのです。

うまくレイキが流れるかどうかも大切だけれど、それ以上に、

“あなたがご自分の中にある優しい愛情を、誰かへ向けて発動させる行為”。

これこそが偉大で尊いものだと私は強く訴えたいのです。

その先に待つのは、どんな世界なんでしょうか。

「みんながこれをお互いにやりあいっこした時に どんな日本が…どんな世界がやってくるのだろうか?」

私はこんな風に、ワクワクせずにはいられないのです。

今回も長いのに、最後まで読んで下さり嬉しかったです。

あなたの応援、心より感謝致します♪  大好きですよ!

 

今日のまとめ

 「レイキの本当のすばらしさは、
    『手のひらを通じて、誰かに愛を贈れること』そのもの。」
──────────────────────────────
      by; 辻 耀子 (NPO日本レイキ協会)