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チャネリング時のメモ、公開します!

理事長の辻 耀子(つじようこ)です。いかがお過ごしですか?
今回は、以前突然チャネリングが始まった時に、ダッシュでとったメモを公開しちゃいます!

メモは、PCの「メモ帳」機能を使って、ババババッ!!と手早く打ち込みました。
そして、それを元に動画を作ってみたのですよ。

(動画は、このページのラストの方にご紹介しておきます!)

……………(チャネリング内容のメモ ここから)……………

◆宇宙の始まりは?

ゆらぎが起こった
ただし、この現象を三次元地球で生きる我々がイメージするのはムリ
時間空間のイメージが違いすぎる

◆宇宙の全生命体が生きる目的は?
(全ての生命体)
クリエイトするよろこび

◆昔の人たちはなぜ、争いをせずに暮らせたの?

自分自身のことを「たましい」であると感じていた
こちらの感覚の方がリアル
肉体に重きを置いていなかった

生まれる事は喜びであり、死ぬこともまたよろこび(還る・元に戻る)
だから、肉体を持ったこの人生に、現代人のような価値を
さほど持っていなかった。
だから、死は恐怖ではなく、悪いものでもなかった。

そして死への恐怖もなかった。
たとえば動物に襲われ、食べられたとしても、
固まって頭が真っ白になり、驚きがあったが恐怖はなかった。

蛇に噛まれて苦しみ、九死に一生を得ても、
怖かったという感覚よりも
つらかった、不快だったという感覚しかなかった。

恋愛感情もなかった。人類愛というよりも、
集団意識の方が強く、「大調和」の意識で生きていた。

つまり「自分が自分が」という主張や執着が薄かったので、
何となく成り行きで子孫が生まれ、
その子孫が誰の子供であるかは重要ではなく、
「肉体は、亡くなったら生み出せばいい」という感覚だった。

集団の中で生まれた子供は、みんなの子供だった。

古代の人々にとって最も嫌なものは蛇だった。
食べていたものが、糖質が少なかったため、虫に刺される事は
現代人程多くなく、悩みの種は蛇だった。
蛇が寄ってきた時に「払う」という事をした。
最初は木の枝で払っていたが、やがて剣の形のものがうまれた。
「厄払いのための剣」は、そもそもは蛇を払うためのものだった。

ゴキブリは、いわゆるコンピューターのバグのようなもので、
イマジネーションとクリエーション

◆なぜ人は、人と争うようになったの?その始まりは?

ある時、ある人物が、槍や弓を、
獲物を摂るためではなく、人に向けて使った。

人が人を殺した。

そこから「恐怖心」や「執着心」が生まれ始めた。
(それまでは、大自然や宇宙に対する畏怖の念はあったが、畏怖は恐怖ではなかった)

所有の概念が発生した。

「あの子供はだれだれの子供である(その人たちに属する)」
という感覚も生まれた。

集団が一つの単位だったのに、その中に「家族」という単位も生まれた。

愛するが故に執着も起こり、奪われたり失う恐怖が生まれた。

所有する、という感覚が強まったため、
縄張り争いや食べ物の奪い合いと確保が起こった。
砂漠などの荒れた土地ではそれが激化した。

恐怖心は、やられた怒りや恨みつらみを生み、
祈りは呪いを生んだ。

◆前の文明はあった?

あった。
その文明では遺伝子操作も盛んだった
遺伝子操作から生まれた動物がいた
珍しい植物もどんどん遺伝子操作で生まれた

失敗した例
ユニコーン

成功した例
トビウオ
パンダ
カエル

◆枚岡神社が出来た時代と、ナガスネヒコ、神武天皇、神社が出来た由来と理由は?

2700年前
お父さんとお母さんを初めて祀った(先祖供養と崇拝に繋がる)

このころのしめ縄の結び方は現代(他のポピュラーな結び方)とは違う

十字架と同じ意味(時間と空間の交わりに意図が入り、
波動共鳴と結晶化によって奇跡が起き、
物質化現象が起こる。「むすひ」大調和を表わす。
エジプトのアンクも同じ意味。)

◆山岳修行の発祥と神社は関係あった?

神社参拝が最初だった。

万物、森羅万象、八百万、大宇宙との調律のための場所が、
枚岡神社の奥、山を登った先にある。

人々は心のブレを修正したい時に、山の上まで登った。
そして「大宇宙との一体感」を取り戻した。

(当時は 山の上からすぐ下に海が見えた。海と山と空。天地万物。)

大宇宙の振動と、小宇宙である体内の振動を共振させる事で
ワンネスの感覚をリアルに感じていた。

(踊りを踊った)
(舞い、歌った)

これがのちに、山岳修行に発展した。

神社の鳥居は参道。
生まれる前のところに戻る場所。

ブレを修正し、大宇宙との調律を終えたら、再び生れ出る。
それが、神社が存在する意味。

祈りはことほぎ。
よろこびを伝える行為。

◆踊りの意味や目的は?

山岳修行や神社参拝と全く同じ。

生と死のはざまにワンネス的な感覚や、究極の恍惚がある。
これを人々は求めた。

そのために行なったことは2つ。
大麻を使って変性意識に入る事と、崖っぷちを駆け抜ける行為。
これらは、いずれも同じ目的を持っていた。

(他にも、煙、香り、竜笛、太鼓、歌声(唄うこと)、舞い踊る事は全て、変性意識に入る事。)

死をリアルに感じる感覚は、亡くなった後のふるさとを
リアルに、身近に感じる事と近かった。

生と死が、究極のよろこび。

……………(メモ ここまで)……………

というわけで…
◆印の問いは、私がチャネリング中に浮かんできた問いです。

今回、チャネリングしてこられた存在は、「渡辺の宿禰(わたべのすくね)さん」という存在で、歴史上の有名人ではありません。

宿禰(すくね)さんは約2700年前、現在の大阪の「額田」(枚岡 ひらおか)の辺りに住んでいた人であり、神武天皇がその地に来られた時やナガスネヒコが去って行った時、そして神社が建立される事になった時に、ちょうど肉体を持って生きておられたかたです。

(ちなみに「宿禰」というのは役職名で、「なまえ」とは違うそうです。
他に「大王」(おおきみ)や「大命」(おおみかみ)、「タケル」「スサノオ」なども役職名を表わしていたそうです。
そもそも「なまえ」という概念がなく「役割」がなまえだったんですね。

お父さんとお母さんを大切に感じ、先祖を敬う気持ち…。
それが、祠(社殿)の建築の動機でした。

後日談です。
ある日、大阪市中央区(天満橋)にてカレーライスを食べ、お店を出た時に、ふとこんな事が頭をよぎりました。
「そう言えば渡辺の宿禰(わたべのすくね)さんって、どこに住んでたんだろうな…。」

そしたらなんと…!
そのカレー屋さんの隣に神社があったんです。

吸い込まれるようにその神社に足を踏み入れると、驚く事が待っていました。

なんと、その神社の境内には「渡辺という姓の発祥の地」という立て看板があったんですよ!

つまり、宿禰(わたべのすくね)さんは2700年前、大阪市内ではなく、現在の地名で言えば東大阪市に住んでおられたかたなのですが、宿禰(すくね)さんのご先祖は天満橋に住んでおられたんですね。

そんなエピソードでした。
◆動画はコチラから観られます。

「神社の始まり 生きる目的を思い出す時」
https://youtu.be/NnfLc76fPYI

最後まで読んで下さり、嬉しかったです。
では、この後もどうぞ、いいひとときとなりますように…。(^^♪


今回のことば

亡くなられたかたも 肉体を手放し新たな形で存在し続けています。
そして色々教えて下さいます!有難いなぁ。

by 辻 耀子