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今こそ自己超越のとき…!

理事長の辻 耀子(つじようこ)です。
いかがお過ごしですか?

今日は、普段私がよく考えているテーマを。
よかったら、お付き合いください。

そのテーマとは「自己超越」です。

◆自己超越とは?

ちょいと調べてみましたよ。

「自己の利益や限界を超え、他者や社会、宇宙といったより大きな目的や存在とのつながりを重視する心理的成長のプロセスです。

自己実現のさらに上の段階。
自己を確立した上で、その範囲を外へ広げていくこと。
自分の力や成果という意識を超えて、大きな流れや他者の貢献に焦点を当てる状態。」

…これです、これですっ。
私が今、全人類にとって最も大切、必要と思っている意識状態。
それが、「自己超越」の意識です。

◆自己超越の主な特徴は?

1.利他性・貢献への欲求
自己超越した時には、自分の利益だけでなく、他者や社会をより良くしたいと願う欲求が生まれます。

2.自己の限界を超える
「自分の力でやったのだ」という意識を超えて、「仕事」や「チーム」などの「自分ではない何か」に向き合うことで、自己という枠組みが消えることがあります。

3.全体的な視点を持つ
個人だけでなく、コミュニティ、自然、宇宙といったより大きな全体の一部であると認識する視点を持つようになります。

4.フロー状態
自己超越の状態の時、時間感覚を失うほど何かに没頭する「フロー」体験をすることがあります。

ついでに…。「自己超越と自己実現の違いは?」というと…。
ベクトルが違います。

自己実現の欲求は「理想的な自分になりたい」という、自分へと向かうベクトル(自利)です。
一方、自己超越欲求は「他者や社会のために」という、外へ向かうベクトル(利他)です。

自己実現が個人の成長や能力の発揮に焦点を当てるのに対し、
自己超越は、その個人としての達成を超えて、より普遍的な価値や意味を追求します。

というわけで…。
ここからは、私のメモ書きです。

つぶやきをバババッ!とPCに打ちました。
……………(つぶやき ここから)……………

滝のたとえ

滝は水の集合体「物体」のように見えているが
一秒後にはさっきまであった水はもう、川の向こうに流れている。

私達もまた、この「滝」のような存在。

他の食べ物やいのちが私たちの身体に入った途端「私」になり、それはどんどん新陳代謝していく。

「私」は永遠には保たれない。
が、そこにある。

どこからどこまでが自分なのか。

食べた物が排泄されればもう「自分」ではなくなる。

昨日までは自分の内臓や脳や皮膚だったものが、自分から離れた瞬間、自分ではなくなる。

こうやって常に「自分」があると思っているのは自分だけであり、
事実は、「自分」としてとどまっていた何十兆もの細胞や それを構成する原子、素粒子がひととき集まっていただけであり、やがて拡散して散っていく。

そしてそれらは、次には他のものを構成していく。

土になり、植物の細胞の一部になり、まだ他の動物に食べられてその動物の一部となり、体外へ排泄され…。

地球上のありとあらゆるものが、このようにして存在の形を変えて次の物になっていく。

ではどこからどこまでが「自分」なのか。
自己超越とは、自分の範囲が限りなく広がっていくこと…。

形あるものは分解され形をなくし、また次の形へと移ろいで行く。

色即是空、空即是色、天衣無縫。
すべては一体。

この感覚の方がリアルになった時、それが「自己超越」の感覚である。

この感覚がリアルになった時、他者の幸福も不幸も自分の感覚となり、利他が利己、利己が利他となり、永遠の循環のつらなりと広がりがそこにある。

宇宙即我、我即宇宙。全ては一体…。

……………(つぶやきのメモ ここまで)……………

人類が生きる目的と、その先に待つ大いなるよろこびは、自己超越にあると確信します。

そして、その追求こそ私にとって、何よりもゾクゾクワクワクとたましいが湧きたつ、最大の関心事なのです。
というわけで…。最後まで読んで下さり、有難うございました!
このあともどうぞ、森羅万象のひとつひとつを ていねいに味わいながら、お過ごし下さい♪


今回のことば

自己超越。その欲求の源泉は「他者や社会のために」という、
外へ向かうベクトル(利他)です。そこに美しさを感じます。

by 辻 耀子