
なぜ、やりたいことが見つけられないのか?
理事長の辻 耀子(つじようこ)です。(^^♪
今日は、「ハラの底からやりたい事を見つけたい!」という人に向けて、書いてみますね。
さて…。
本気で、本当に、ハラの底からやりたい事。
それが見つかった時、私達は「やった〜♪ワクワクする〜♪」と思えるでしょうか?
いいえ。
実は残念ながら違うのですよ。
本当に、本当に、心底やりたい事。
それをリアルに「やるぞ」と決める時ほど、「ワクワク」よりむしろ「ドキドキハラハラ…」。
つまり、緊張や逃げ出したいような怖さを感じるものなのです。
「え?辻さん、何ですかそれは!すごく意外です!」
おお、そうですか?
そう思ったかたもいらっしゃるかも知れませんね。
これは、たとえ話を聞くとイッパツで合点がいく話です。
例えで言うならば、『めちゃくちゃ惚れた、大本命の人』との初デートの時のようなものなんですね。
「は?初デートですか?」
はい。
実は私達は、重要じゃない人と会う時ほど、服装にも気を使わないし、リラックスしていられます。
逆に、尊敬する人や大切な人、ましてや大本命の人との初デートの時には、リラックスや「ワクワク」など吹き飛ぶわけです。
「ヘンな印象をもたれたらどうしよう?」
「面白くないヤツって思われたらどうしよう?」
「服装ダサいな、一緒に歩きたくないな、って思われたらどうしよう?」
ね?この感覚、分かりますか?(笑)。うははっ。
…相手との待ち合わせ時間が近づいてくるほど緊張しますね。
そして、緊張するのが普通だと思いませんか?
では、この『大本命の人』のところに、『本当にやりたい事』という言葉を置き換えてみて下さいな。
『夢』や『やりたい事』についても、同じだとイメージできますか?
そう!『大本命』『ビンゴ!』なものほど、同じように『緊張』や『失敗する怖れ』のほうを
リアルに感じるはず…という事なんです。
つまり、これが「やりたい事をなかなか見つけられない」という人にとっての、見つけられない理由のひとつです。
怖いと感じるものは、無意識のうちに、視ないでおこうとしてしまうのです。
「やりたい事、見つかった!」と思っても、すぐに「やっぱり違うかも?」と思ったり、すぐに飽きる理由も、全く同じです。
(飽きる、というのは、『大本命』じゃなく3番目ぐらいに好きなものだからでしょう。ダーツのど真ん中ではないのです。)
ともあれ、「本気でやりたい事」に取り組むのは極度の緊張や怖れを伴う可能性が高いわけです。
だから「楽しそうでワクワクするもの」の中から「本気でやりたい事」を探そうとしている限り、なかなか出てきません。
しかし、もしも『大本命かも?』というものが見つかったなら、今までとは違う感覚が襲ってきます。
言葉には表現しがたいですが、人生や未来への確かな、強い感覚です。
何かに立ち向かっている感覚というのか、真剣に向き合った時に湧き上がってくる感覚です。
緊張感があるかもしれません。
いえ、あるでしょう。
しかし究極の緊張感の中、それに取り組んだ時には、「生きてる…!!!間違いなく生きてる!」という実感と充実感が待っています。
『いのちの炎』が燃えているのをじりじりと感じることでしょう。
怖くても、自信がなくても、一緒にやりませんか?
実は、私にとって、セミナーや講演は、そんなライブの場です。
ものすごく緊張して、頭が真っ白になるし、やり終えるたび「もう嫌だ、苦手だ、こんなしんどい事はやりたくない」と思うのですが、同時に、生きて、今ここに存在し、共に時間を共有し、本気で前を向き直す場でもあります。
セミナーや講演を聴いて下さり、絶望の淵から、再び顔を上げる人。
何十年も我慢してきた事がこみ上げて、赤ちゃんみたいな顔で泣き出す人。
「本当の自分はこうなんですよ…」と、伝えて下さる人。
こわごわ、おそるおそる心を開いてくれる勇者もいます。
落ち込んでいた人でも、雰囲気が変わります。
心のモヤが晴れると、背筋が伸びます。
その人の瞳がまるで雲の合間から太陽が顔を覗かせた瞬間のごとく輝きだします。
講座では、そんな受講生さんを、その場にいた他の受講生さん達が自然とねぎらい、承認し、包み込む事があったりもします。
(こういう事が自然発生的に起こる時があるのです。)
そこに集結したみんなが、作っていないナチュラルな表情に戻る瞬間です。
飾らない、その人の魂がむき出しになる瞬間です。
本質の『愛』がむき出しになる瞬間があるのです。
いつもその瞬間、私は息を飲み、その透明な表情に胸を打たれ、泣きたくなります。
そして、“ああ、その人の人生が、さらにその人らしく輝きますように…!!” という事を、本気で、心の底から祈っている自分に出くわします。
“私も含め、我々は、もっとのびのびと開放されていいんだ。
誰にも遠慮しなくていいんだ。
苦しいなら、苦しい顔をしていいんだ。”
幸せは、実はそこいら中にごろごろ転がっていて、それはもう、無尽蔵に広がっていて、どれだけ味わっても減らなくて、みんなのぶんが、十分にあります。
昔、苦しかった自分には、それが見えなかった。
でも、今はそれが見えるのです。
(アメイジング・グレイスの歌詞って、 実にみごとにそのことを表現してるよなぁ〜っていつも思います。)
私は、
「ほら、ここにちゃんとあるよ♪」
「あそこにもあるよ?」
「そこにもあるよ〜! 見てみなよ〜!」
と言い続け、指をさし続けたいのです。
今、改めて、本気で思います。
ご縁ある人が顔を上げて前に進む力を取り戻し、「生きがいを感じるお手伝い」がしたいです。
「これぞ、生きがいのある人生だ!」と心のそこから実感したい人を、全力で、全霊で応援したいです。
そして、それをさせて頂けている人生は、真に、真にありがたい人生です。
ご縁があり、こうしてつながって下さっている人、
「前を向いていきたい!」と決意している人、
倒れそうになりながらも踏ん張っている人、
がんばる人、
努力している人、
自分の情けなさに泣きたくなっている人、
もがいている人。
そんな人に、私は
「がんばらなくていいんだ」
という言葉じゃなく、
「がんばらなくてもうまくいくよ」
という言葉でもなく、
別の言葉を伝えたいのです。
それは、
「じゃあ、もう一度ハラくくろうよ? たとえもしも怖くても、自信がなくても大丈夫、その場合は怖がりながらも、一緒にやろう!」
という言葉です。
「一緒に、本気で、本気の人生を生きようよ!」
「最初の一歩を踏み出そうよ!」
と声をかけたいのです。
そして、私自身もいのち賭けで、本気の人生を生き続けたいんです。
“ご縁ある人のいのちの炎が、もっともっと高く、クリアに燃えて輝きますように。”
その応援に、私はいきがいとワクワクを感じるのです。
今回のことば
本気で、本当に、ハラの底からやりたい事。
それが見つかった時、私達は「ワクワク」ではなく怖さを感じるのです。
BY 辻 耀子

