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見えない世界のフシギ体験記-1

こんにちは、理事長の辻耀子(つじようこ)です。(^o^)

いかがお過ごしですか?

当協会の師範資格について

本題に入る前に…。

当協会では毎年、5月~6月頃と、11月~12月頃に東京・大阪にて『レイキ実力検定(一次・筆記テスト)』を開催しています。

これは何かと言うと、当協会の師範になりたいかた向けのテストです。

一次試験の合格者さんは、二次試験を受験できます。

二次試験は実技テストです。

レイキ・ヒーリングや日本伝統式手技についての試験です。

この2つの試験に合格すると、晴れて『師範研修』に進む権利が得られます。

師範研修は、3ヵ月~半年ほど。

研修のラストには、これまた『最終テスト』があるんです(笑)。

そうカンタンには、師範の資格を取得できません。

…そう、けっこう険しい道なのですヨ(苦笑)。

しかしその分、当協会の師範のかたは かなりレベルが高いのです!(自画自賛…(笑)。

しかも、みんな本当にステキなかたばかりなんですよ…♪

少なくとも最低、

・キチン必ず、責任を持ってアチューンメントが行なえる

・正しい技法を指導伝授できる

というかたがたです。

他スクールを観てみると…。

他所はほぼ100%、受講料を支払って師範レベルの講座を受講すれば、その日のうちに師範(レイキマスター)になれます。

そう。たった一日、数時間学べば 半日後にはレイキマスターです。

もっとお手軽なスクールもあります。

一日で「レベル1(初級)~レベル3(上級)まで、もしくはマスターレベル(師範、指導者レベル)」までを『たった一日で教えます』というスクールです。

…冷静に考えると、これはすごい事です。

昨日まで「レイキとは?」って言っていた人が、半日後には「指導者」を名乗れるのです…。

もしもこれが、自動車の教習所なら…?と考えると、私はめちゃくちゃ恐ろしいです…。

なぜなら、昨日まで車に乗った事がなかった人が、半日後には『教官』になれるシステムなわけですから…。

「自分のために楽しむお稽古ごと」ならば、「たった一日で…」というのもアリかも知れません。

けれども、他者を指導する…しかも無償ではなく受講料を頂いて…という事ならば、それなりの責任が発生してしかるべきだと私は考えています。

そして、この価値観と方針に同意共感する人たちでチームになり、レイキを伝えています♪

(※私は他スクールの方針を否定するつもりはありません。各スクールごとの方針・価値観の違いについては、受講する人自身が自らの価値観に合わせて自由に選ぶ権利があります。また、様々な方針のスクールのバリエーションがあるほうが、業界として健全だとも思っています。)

そんなわけで…。時折私も、試験のお手伝いさんとして会場へ行きます。

普段は事務局の裏方仕事をしている私ですので、会場で受講生のかたがたとお会いする機会は、滅多にありません。

…で。この冬にお会いできた受験者のみなさんも、レイキのオーラが溢れていて、とても感じがよくステキなかたばかり!(大感激!)

「あ~!おひとりずつと、もっといっぱい会話してみたい~!」といつも強く思う私でした。

レイキで繋がる仲間っていいな~、嬉しいな~♪

「見えない世界」を自分で確認できなければ納得できなかった

さぁ、本題に入ります。

今日から、ちょっとドキドキしながら、『見えない世界のこと』について 自分の不思議体験を交え、気付きを書いてみたいと思います。

そうそう。時折、受講生さんからこう訊ねられます。

「レイキの上級(サード)アチューンメントを受けたら、(自動的に)悟れるのですか?」

「え~、『上級アチューンメントを受けたら即、自動的に悟れる!』なんてありえないよ~~!」

今、そうツッコミを入れたアナタ。そう!その通りですっ(笑)。そうなんです。

『講習を受講したら、自動的に悟れる』『受講日当日、瞬時に悟れる』という事は、残念ながらありませんっ。
(でもこれ、中級(セカンドレベル)の受講生から、時折出る質問なのですよ。)

そんな話が出たので、ここで貴方にも質問したいっ。

『あなたがレイキに興味を持った動機は何ですか?』

…何のためにレイキを習得したいな~、と思いましたか?

レイキを知ったきっかけは?

誰から聞いたどんな説明で、「あ、いいな♪」と思いました?

臼井式レイキの真髄である、『安心立命(悟り)』には興味がありますか?

(私は、非常~~~に興味がありますっ!)

そもそも私は昔、レイキの新米さんだった頃、「見えない世界についての真実(真理)が知りたい」と思っていました。

「一体、魂ってなに? 悟りってなに? どうして生きてるの? 死とは? お化けって一体何がどうなってるの?」

…こういう事を考え始めると、かなりワクワクします。

…が、いくら考えても、真実が見えませんでした。

で、色んな本を読みました。

けれども、納得がいかない事だらけでした。

というのも、そもそも私は理屈屋さんであり、読んだり聞いた話を「そうなんだ~」と鵜呑みにするタイプじゃないんです。

ひねくれたところがあるんです(笑)。

そのため、「どこかの偉い誰かが本で書いてたから、きっとこうなんだろうな」という風には信じられず…。

「科学的根拠もなければ、再現性ももちろんない。証拠もない…。言った者勝ちの世界だよね…」と…。

こんな風に受け止めるタイプだったのです。

私は自分で確認したかったんです。

ウラがとりたかったんですっ。刑事さんのように。

…で、そう思いながら生きていたら、自分なりに確認出来た事が、これまでにかなりたくさん起こりましたっ。

も~ね、私の人生、摩訶不思議体験のオンパレード人生になったと言っていい状態ですっ。

すごいです…。

心霊系の映画で起こるような事をはじめ、「あ、ありえん!」という事が「これでもか!!!」というほどありました。

そこで、そんな『見えない世界』の体験を重ねるうちに、やがて少しずつ少しずつ…私の中で「きっとこういう事なのかも知れない」という仮説や検証が進んでいったのでした。

今日は、その第一弾。『臨死体験記』の始まりです~(笑)。

レイキ創始者・臼井師が悟った経緯

まず、色々な摩訶不思議体験の中で、一番でかかったのは、やっぱりこれ!

臨死体験ですっ!

私、実は、幸運なことに臨死体験しちゃったんです。(しかも、数度!)

(って…。ぶっちゃけこれは全然『幸運なこと』じゃないですけどね(汗)。

だって心肺停止になり、死に、そこから戻ってきた、という事ですから…。)

でも、そのお陰で『知るはずのない世界の様子』を覗き見てきました!

(まさしく「家政婦は見た!」状態です!)

ところで…。そういえば臼井式レイキの創始者・臼井氏も、100年以上前、レイキに出会う前は、ずっと長年「悟りたい~!」と渇望していた人でした。

そして心理学を学び、禅の修業を積み…。そうこうしているうちに、57歳。

「うお~、ヤバッ!気が付けばもう、こんな年じゃん、オレ!(焦っ)」

と焦ったかどうかは分かりませんが、当時の寿命を考えると、57歳だと うかうかしていられなかったんじゃないでしょうか。

さらに禅の修業に力を注ぐものの、それでも納得いくような境地を体験できず、とうとう思い余って、当時 臼井氏が師と仰いでいた禅宗のお坊さんに、こう訊ねたんだそうです。

「師よ、どうすれば悟れるのですか?」

「一度、死んでみる事だな」

「ええっ?!」(んな、ごむたいな~~)

この返答に、臼井氏は、ガクッ。

「死ななきゃ悟れないなんて…。

だったら『やった~、悟れた~!』と思った時には人生が終わってる、っちゅう話じゃないかっ。

それなら悟る意味自体ないわ!

だって、悟って幸せ~~な至福の境地を味わいつつ生きてみたいのに!

くそ~~!でも、それでもオレは悟りの境地を体験してみたいぞ!

どうしても体験してみたいぞ~~!

よっしゃ…、じゃあいっぺん、死んでみてやる!」」

(※このセリフは、私が勝手に創作したもので、こう考えたかどうかは不明ですが…)

ともあれ、こうして、臼井氏は京都の鞍馬山へ。

牛若丸と弁慶で有名な…鞍馬天狗(くらまてんぐ)で有名な、あの鞍馬山です。

(断食修行をされたので、この時おそらく、生死を彷徨うほど衰弱しておられたかも知れないですよね…。)

んで、21日後!ついに…、

「キターーーーーーーーーーーー!!!!!!!」

臼井氏は悟ったのでした。

「宇宙即我、我即宇宙!!!自分と宇宙は同じものだ~~、宇宙が大きな海としたら、自分はその海の水滴みたいなものなんだ、つまり、宇宙を創っている材料と、自分自身とは同じもので出来ている!」

(※このセリフは、辻 耀子(つじようこ)による、想像意訳ですっ!)

なぜ、臼井氏がこの事を悟れたのか。

その理由は、断食修行の最中に、『レイキ』というエネルギーを体感したためです。

「これだ!」という、大きな気付きを得た時のエピソードが遺されているんですね。(このあたりの詳しいお話は、『アチューンメント講座・初級』にて。)

臨死体験で垣間見た「光の世界」

私の体験記に話を戻しますっ。

私は、レイキを学ぶ前に2度、臨死体験をしました。

一度目は3歳の時です。(事故で心肺停止に。)

二度目は大病で闘病中に。

そしてアチューンメントを受けた後、もう一度、30歳ごろに。

…合計3回の臨死体験をしました。

そう。幸運にも、死の世界を「チラ見」しちゃった私ですが…。

どんな感じだったかと言うと。

まず、死ぬ時には『意識体』(?)みたいなものが、自分の身体(ボディ)から離れました。いわゆる幽体離脱、という状態だったのかも知れません。

3歳の時、私は交通事故で激しい痛みの中にいて心肺も停止していたはずですが、なぜかその時、痛くもかゆくもありませんでした。

(この時、おそらく振り返ったら病室で横たえられた『ご臨終状態』の自分の肉体を見る事が出来たかも知れませんが、私は振り返らなかったので、それは確認出来ていません。)

痛くもかゆくもなかった、と書きましたが、実は『体温も、気温も、体重も、何も感じない』という状態でした。

ただ、『意識』はありました。

そして、「前方(?)へ進んで行ってみたい!」という『意志』はありました。

私はフワフワ浮遊しながら、めちゃくちゃ綺麗なトンネルのようなところを進んでいきました。

よく、TVで『臨死体験特集』というようなのがありますが、まさにあの時の再現フィルムは、私が観たものと近いですっ。

(と言う事はつまり、他の臨死体験者も、似たような景色を観ている、という事なんでしょうね。うまくリアルに再現されてるな~、っていつも思いますもん。)

ちなみに私は、あの時の風景を、いつも『万華鏡の筒の中みたいだったな…』と思い返します。

色彩の洪水でした。しかも、まぶしい!!!

この地上ではありえないほどの眩しさ、光度でした。

その先には、さらに白っぽいキラキラしたものが揺れていました。
(これがいわゆる、三途の川と呼ばれるものなのかも…。)

私の観た感じでは、晴れた日に海の上に太陽光が反射して、波がキラキラと白く輝いているときがあるじゃないですか。あれが近いかな?と思います。

そのうち、気がついたら、『光の存在』(?)とでも言うべき存在が無数に存在しているのに気がつきました。

彼らにはボディがあるわけではないんです。でも『気配』みたいなものはありました。
(だから、「うじゃうじゃおるな~~」と思いました。)

この『光の存在(気配)』も、やたらキラキラしていました。

光を放っていました。

密度の高いエネルギー体、みたいな。

そして。

この『気配』みたいなうじゃうじゃいる者たちは、どれも『同じ』でした。

うじゃうじゃたくさんいるように思えるけれど、実は1つのかたまりのようにも思えました。

そして、彼らは非常に穏やかで平和で、静かで、受け入れてくれてる感じがしました。

とにかく、心地よくて眩しいほどの光の洪水の場所でした。

エネルギーの滝つぼ?とにかく表現しがたいほどの心地よさで、まさにあの状態を言葉にするなら『大安心』です。

『永遠の穏やかさ』というのか…。

でも同時に、私は私自身について、何の感覚も感じなくなっていました。

五感の感覚がないんです。

透明人間になったみたいでした。

どこからどこまでが自分なのか、境界線がなくて、温度も外気温も感じなくて、上も下も右も左もないんです。

ただ、『意志』はありました。

感情はなく、ただ『何もないけど、存在している』というしかないような感覚でした。

あれは、最高の、至福の場所です。

天国やら極楽浄土と名づけた人の気持ち、よく分かります。

「頑張って生きてきたご褒美」みたいな、至福の場所です。

ただ、『場所』という風に表現していますが、正確には、『場所』ではありません。

そこには、「在る」んだけど「無い」。

「無い」が「在る」。

言葉にすると、こんなおかしな事になる世界です。

だから『場所』ではなく『次元』と表現したほうがベターかと思います。

その後、気が付けば…私は、再び瞬時にして『身体』(ボディ)の中に戻っていました。

「痛っっっっっ!!!!! …ここどこ?!(パニック!!)」

これが、3歳の私の意識が、最初に思った事でした。

見知らぬ病室の天井の風景が見えました。

室温を感じました。

重力も。

…この臨死体験でハッキリ分かった事がひとつあります。

たとえば、痛い目に遭う。

火事で死ぬ、溺れて死ぬ。

こういう、「苦しみながら死ぬ」という事って、多くの方が恐怖する死に様だと思うのですが、今の私は断言できます。

「その死にかたでも、実際はそれほど苦しくないよ」と。

おそらく、「煙に撒かれて、暑い!」「息が出来ない、苦しい!」そんな風に苦しむ時間は、実際1分~2分程度だと思うのです。

その後は、『魂』が身体から抜けます。

(魂と言っていいのか…。多分いいと思うんですが。『意識』だけが身体から離れるんです。透明人間みたいに。)

そうすると、その瞬間から『肉体にくっついてる感覚』がゼロになるので、全く苦しくなくなります。

体温も感じません。

熱も冷たさも。

痛みも何も無感覚になるのです。

(もちろん、1分~2分後以降も、身体はまだもだえ苦しみます。だけど、その苦しみを感じ続ける状態にはならない、という事です。なぜか、そこから自動的に離れてしまうのですから。)

…というわけで。次号に続く(笑)。

次号は、『魂だけ』になった状態の時、我々はどんな状態? という事について、体験レポートしますっ。

(私は、体験し、「なるほど!」と思った事しか書かない主義です。だからこれは、完全な実録レポートです(笑)。ともあれ、死や魂の話については、「分かった、理解した」というよりも、「瞬時に把握した!」という感覚です…。)

あっ!誤解のないように言っておきますが、私はもちろん、『あの世』の全てを分かっているわけじゃありません。

当然ながら私は『完全に悟った人』でもなければ、すっごい超能力者でもなく、仏のような人格者でもないんです(笑)。

ホント、『ただの人』ですのでネ。

そんな「ただの人」が体験した、マジカルな世界。

よかったら次回も続きを読んで下さい(笑)。

 

※レイキは、「自分で、学びたいレベルまで自由に学べる」ようになっています。

だから、「必ず上級(サード)までを目指さなければならない!」とか、「悟りについて知らなければならない!」という事など、もちろんありません。

また当然、「師範やレイキマスターの人は覚醒者・人格者なのか?」というと、そんな訳でもありません(笑)。
(※師範、レイキマスターとは:レイキティーチャー、指導者の事です。)

ただ、「そこを目指したい!」と思って、自分を高めている人は多数おられると思います♪

今回も最後まで読んで下さり、ホント感謝です♪

次回も読んでもらえると、嬉しいですよ~~vv

今日があなたやあなたの大切な人にとって、いい日でありますように。


今日のまとめ

「誤解を恐れずに言うならば、“死”は頑張って生きた人にとってのごほうびのような、甘美なものなのです。怖いものではありません。」

by; 辻 耀子